「よそ者」による地域おこしと多文化共生:北海道白老町を訪れて

地田 徹朗 
(世界共生学部准教授、グローバル共生研究所上席研究員)

北海道白老町について

2018年12月1日から2日にかけて、北海道白老郡白老町を訪れた。白老町は、苫小牧市と温泉で有名な登別市とに挟まれた太平洋に面する町である。人口は約17,000人。海沿いに国道36号線と室蘭本線が走り、そこに人口が集中している。日本製紙が大きな工場を構えている他にも、町の東部にある社台地区は競走馬の産地として有名であり、町の西部の虎杖浜はタラコの産地として知られている。

図 1 白老郡白老町の位置
出典:北海道胆振振興局HPより

海沿いの集落の背後には壮大な山と森が広がっており、秋には山から海に向かって注ぐ河川をめがけて鮭が戻ってくる。先住民たるアイヌの人々がかつてはそこから得られる自然の富に依存しながら生活を送ってきた。白老町にはアイヌ文化の研究・保存・普及を行うと共にエスニック・ツーリズムの中心拠点であるアイヌ民族博物館がある。2018年3月末にアイヌ民族博物館は53年の歴史に一旦幕を閉じたが、2020年4月に民族共生象徴空間の一部として国立の施設としてリニューアルされる予定となっている。

そして、廃校となった小学校の建物をアトリエとして改造して利用し、年に1度、国内の著名なアーティストをゲストとして迎えて芸術祭を実施している飛生アートコミュニティーがあるのも白老町だ。実は、私の白老との出会いは飛生から始まっている。

地域おこし協力隊とは

 このような、山・川・海の豊かな自然に囲まれた、多民族・多文化共生が息づく街。それが白老町の特徴である。改めて白老を訪れてみて、そこでの取り組みの先進性を改めて発見することとなった。町外からやってきた、いわば「よそ者」である地域おこし協力隊員が、①多文化共生、②地域創生と街おこし、③自然保護、④国際交流を、地域の住民を巻き込みつつ(その多くは年配者である)同時進行で実践しているということを知ったのである。

地域おこし協力隊とは、過疎・高齢化地域の地域創生・振興とその担い手たる都市住民の定住を目的として、2009年に総務省が音頭を取って始めた制度である。地域おこし協力隊員の受け入れにあたって、地方自治体は国の予算措置を受けることができる。2017年度、日本全国の997自治体で4,830人の地域おこし協力隊員が活動している[1]。都道府県別でみると、北海道が142自治体593人と最も多い[2]。北海道は札幌一極集中で、地方では過疎化の進行が進み、また鉄路に代表されるインフラの衰退も著しい。同時に、北海道とは独特の自然と文化を有する魅力的な場所が多いことも確かであり、都会から地域おこし協力隊に名乗りをあげる人が多いことも理解できる。東海3県をみてみると、愛知県では4自治体(新城市、設楽町、東栄町、豊根村)が16人、岐阜県は15自治体が60人、三重県は12自治体が91人に地域おこし協力隊員の委嘱を行っている[3]。

白老町では、現在6人の協力隊員が活動しており、そのうち5人が首都圏出身者である[4]。以下で紹介する林啓介さんの奥様のオリガさんはサンクトペテルブルグ出身のロシア人であり、内なる多文化共生と共に、国外との多文化共生についても発信していることを特徴としている。地域おこし協力隊員の具体的な活動内容については、Facebookページを参照いただきたい[5]。

国境を越えたアイヌ刺繍のパッチワーク

 白老町でまずお世話になったのは、前任校である北海道大学時代の友人で、若くしてこの世を去ってしまった宇佐見祥子さんのお母さま、宇佐見成美さん。白老町総合福祉センター(いきいき4・6)で高齢者介護の仕事に取り組みながら、生活支援担当の地域おこし協力隊員として活躍されている。生前、祥子さんは飛生アートコミュニティーで広報活動をされており、その縁で成美さんは白老町に引っ越されてきたとのこと。

図 2 総合福祉センターに飾られている アイヌ刺繍の
パッチワーク共同作品
出典: 筆者撮影(2018 年 12 月 1 日)

総合福祉センターいきいきを待ち合わせ場所に指定されて伺ってみると、そこに白老でアイヌ刺繍サークルを主宰されている方々の発案で、民族共生象徴空間の地元気運を高めようと白老町民に募って集めたというアイヌ刺繍の巨大なパッチーワーク作品が飾られていた[6]。宇佐見さんは「事務局」のような存在で町民への呼びかけに動かれたのだという。私は一目見て、「これはすばらしい!」と感嘆した。ただし、すばらしかったのは作品そのものだけではない。「参加者一人一人の心を、ひと針、ひと針で繋ぎ合う」[7]という趣旨もまたすばらしい。そして、刺繍の技をもつアイヌの方々が和人である町民の方にレクチャーされ、そして、アイヌの方の手ほどきを受けつつ、地元の高齢者の方々が喜々として製作に参加したということもまた素晴らしい。地元の高齢者が気軽に参加できる(それは言うは易く、行うは難きことである)多文化共生事業となったのである。

白老町はアイヌ博物館があることから、世界の先住民族との交流事業も実施している。そして、このアイヌ刺繍のパッチワーク作品は海を越えて、ハワイの先住民の方々の手によるハワイアンキルトとの「刺繍コラボ」が実現する運びになる。そして、やはり地域おこし協力隊員である林啓介・林オリガ夫妻の手を経てパッチワーク作品が再び海を渡ってロシア・サンクトペテルブルグにある民族学博物館に寄贈されるということも実現した。北海道がサンクトペテルブルグ市との交流強化に乗り出しており、タイミングがバチッと合ったわけである[8]。オリガさんが協力隊員をつとめているからこそ円滑に物事が運んだという側面もあっただろう。

その後、「みんなの心つなげる巨大パッチワーク」は北海道新聞の広告で全道に呼びかけられ、大きなムーブメントとなるに至っている。

これは事例として非常に興味深いものだった。つまり、多文化共生、高齢化問題、国際交流という一見するとどう考えても交わりそうにないことを三位一体、同時にアプローチして、成功しているのである。しかも、草の根での活動が一気にグローバル展開するという「スケールジャンプ」を起こしている。宇佐見さんは他の協力隊の方々ともコラボレーションしており、それは地域のイメージづくりという点で、地域創生や町おこしとも結びついている。「白老ならでは」という特殊な事例とするのではなく、外国からの働き手を数多く抱える東海地方も取り組みとして学ぶべき点があるように感じられた。

白老をぐるりとめぐり、町の「資源」を多々発見

 アイヌ刺繍パッチワークへの感激に浸る間もなく、宇佐見さんに日暮れまでの短い時間で白老のあちこちに連れて行っていただいた。しかも、宇佐見さんのドライブで。とてもありがたいことであった。

図 3 石山地区の「アメリカン・ヴィレッジ」
出典:筆者撮影(2018年12月1日)

 石山地区別荘街はアメリカンスタイルの別荘が建ち並ぶ「アメリカン・ヴィレッジ」なる区画があり、なかなか異国情緒溢れる場所だった。某有名人の別荘もここにあるとのこと。宇佐見さんが協力隊員としての委嘱終了後にカフェを開くという場所は、「ちゃれんじ農園」という名のキンセンカなど花卉を有機栽培している畑の敷地内にある。観光客をターゲットとするだけでなく、高齢化が進むという石山地区の住民のためのちょっとしたよりあい処と商店の機能も担うことになるという。窓から見える畑の風景と樽前山の眺望は、「ザ・北海道」という風情だ。3月のオープンが待ち遠しい。

その次は、竹浦海岸へ。若干、時期が遅かったというが、鮭が遡上するポイントを見る。10月はわんさと鮭が海岸から川に向けて遡上しようとする。河口にある仕掛けにかかった鮭は孵化場に運ばれ、稚魚の再生産と放流が行われるとのことだ。そして、海岸の眺望もすばらしい。山だけでない。海もキレイな街だ。

前述の「ちゃれんじ農園」は、有機農法で育てたキンセンカなど花卉を、東京に本社がある化粧品会社が白老に建てた工場に卸しているのだという。この会社は工場兼ショップと家族やカップルが訪れて楽しいガーデンを整備した「ナチュの森」を2018年7月に虎杖浜地区にオープンさせた。廃校になった中学校の跡地利用である。ここに立地させた理由が、アイヌ語で「カムイ・ワッカ(神の水)」と称される清らかで豊富な湧き水の存在である。白老で作った花を原材料に、白老の湧き水を使って作られる自然派化粧品は肌に優しくて人気のようだ。

図 4 虎杖浜地区の湧水「カムイ・ワッカ」
出典:筆者撮影(2018年12月1日)

虎杖浜地区から東に戻りつつ、北吉原地区にある日本製紙北海道工場白老事業所を車窓から眺める。国道を走っていると遠目からでもその存在感は格別な大きな工場であり、白老の「近代化」の象徴たる場所だ。2017年には258人の従業員を抱えており[9]、工場のある北吉原駅周辺には社宅のような建物も建ち並ぶ[10]。「ナチュの森」もそうだが、町外からやってきて働いている方々とその家族に、白老という町が単なる一時滞在先というだけでなく、愛着をもってもらうことが課題のようだ。

図 5 白老観光協会にて (左から、菊地さん、ヌウエンさん、宇佐見さん) 出典:筆者撮影(2018 年 12 月 1 日)

次は、白老駅前の白老観光協会を訪問。白老町の観光マップや名所のパンフレットをたくさんいただいてくる。ここで、協会職員として働かれているベトナム国籍のヌウエン・テイ・ヒイエンさん、偶然、協会にいらっしゃった白老町経済振興課の菊池純さんと知り合う。今や北海道はどこに行ってもインバウンドの外国人観光客の数が多く、アイヌ博物館が一時閉館しているとはいえ、見所が豊富な白老町には日本人だけでなく多くの外国人観光客が訪れる。そこでヌウエンさんのような外国人職員が働いていることはとても重要なことだ。そして、菊池さんは地域おこし協力隊の活動を行政の側で全面バックアップしてくれている役場の若きアクティビスト的存在だという。いくら町民や地域おこし協力隊員が素晴らしいアイディアを持っていたとしても、行政の側からの広報面や財政面でのバックアップがないと、アイディアの実現はなかなか難しい。行政が下からのイニシアチブを支えてくれることで、町民を繋いでネットワーク化することも可能になる。菊池さんのような存在はとても貴重だ。

図 6 夕暮れ時のポロト湖の風景 出典: 筆者撮影(2018 年 12 月 1 日)

日も暮れたところで、民族共生象徴空間の建設現場であるポロト湖を訪れる。アイヌ語で「大きな湖」という意味らしい。これまでアイヌ民族博物館もこのポロト湖畔にあり、「ポロトコタン」との愛称で親しまれてきた。ポロト湖の後背地には湖に注ぐウツナイ川に沿って大きな湿原と自然休養林が広がる。冬はワカサギ釣りのメッカともなる。2020年の民族共生象徴空間のオープンに向けて建設作業が進められている様子が確認できた。

最後に、地域おこし協力隊員の手塚日南人さんに指定された待ち合わせ場所である、白老町の最東部、社台地区にあるコミュニティカフェ「ミナパチセ」を訪れる。残念ながらお休みだったのだが、ご本人がアイヌである店主の方が、「さまざまなバックグラウンドを持った方が集い、それぞれがやりたいことを実現できる、優しいコミュニティカフェ」を目指しているのだという[11]。アイヌ料理も提供しているとのこと。訪問できなかったのは残念だが、「さまざまなバックグラウンド」というものが、人々が集いアクションを起こす上での大事なリソースなのだということに気づかせてくれる。クラウドファンディングでカフェ継続の支援者を募り、それに成功しているという事例としても興味深い。地方紙『室蘭日報』でも報道された[12]。

このように、宇佐見さんには虎杖浜から社台まで、白老町の海沿いを端から端まで見せていただいた。観光目線だけでなく、豊かな自然と人々の多様性というものが、白老という街の大事な資源なのだということをこの目で確認することができた。これから日本は人口が右肩下がりに減っていく時代に突入するわけだが、地域の人々が「よそ者」と共に地域がもつ資源というものを発見していく作業は、今後の地方のあり方を考える上で、どこにでも適用できる重要な作業なのだろうという確信をもった。そのことを考えさせてくれた、貴重な経験をすることができた。

エコツーリズムから人類の最大幸福を目指す

「ミナパチセ」が残念ながら閉まっていたので、白老町の中心街に戻り、宇佐見成美さんのご紹介で、白老町地域おこし協力隊のメンバーであり、ポロトの森エコミュージアム推進協議会専務理事の手塚日南人さんと白老町の中心街のカフェで夕食をご一緒する。ポロトの森エコミュージアム推進協議会は、白老町、ポロト自然休養林保護管理協議会、白老観光協会などが構成メンバーとなって2017年4月に発足した[13]。ポロトの森エコミュージアムのFacebookページには、「ポロトの森エコミュージアム(PoEM)は、先住民の方々の英知や精神を敬い、現代に生きる我々に何ができるかを想像・体験・発信する場です」とある[14]。

図 7 カフェ KIMPEN にて手塚さんと筆者 出典:宇佐見成美さん撮影(2018 年 12 月 1 日)

手塚さんはまだ20代半ば、とにかく若いのだが、その構想力と実行力にとにかく感心した。ちなみに、手塚さんのご両親は日本では知らぬ人はいないというくらいの有名人である。早稲田大学国際教養学部在学中にスペインに留学をし、様々な場所をめぐって人々と交流する中で自然保護やエコツーリズムに強い関心をもったとのこと。基本的な手法は、森林ガイドの手法を通じたポロトの森の保全という活動ということになるのだが、手塚さんの構想のスケールはその一言では済まされない。ポロトの森からグローバルに発信し得るスケールの大きな活動をされている。アイヌ文化とアイヌの森を尊重しつつ、日本人だけでなく外国人もエコツーリストとして白老の(アイヌの)森に滞在することで、彼らが森林保全活動に参加する。そして、それを日本各地だけでなく世界各地へモデルとして持ち帰ってもらって広めてもらう。いわば、白老の森の「関係人口」[15]を増やして、ネットワークを広げてゆくということなのだろう。構想の段階で、白老というローカルからグローバルへの「スケールジャンプ」を意識している。それが人間と環境との有り得べき関係の再構築を様々な場所で促して、人々の最大幸福に結びつけてゆく、このような壮大なコンセプトを手塚さんには語っていただいた。そして、それを再帰的に常にモディファイしてゆくという柔軟さも持ち合わせており、「よそ者」だからできることは何かということを考えている。地方での自然保護に人々をインボルブさせていく上での「よそ者」の役割については、環境社会学者の鬼頭秀一が論じているが[16]、それをはからずして実践している。若くて白老に来て半年強にもかかわらず、町の人々とアイスホッケーに興じるなど、地域のコミュニティにも溶け込んでいるようだった。

はて、20代だった時に、そして今でもこんなこと私にできるだろうか、というとまったく自信はない。ただ、私自身もカザフスタンの小アラル海地域での持続可能な生業のようなことを研究していて、手塚さんのアイディアはとても参考になるものだった。

なお、夕食を食べている時に、白老町経済振興課主幹の貮又聖規さんがわざわざご挨拶に来ていただいた。宇佐見さんと菊地さんが電話でわざわざ取り次いでくれたお陰である。

「地元学」の白老での実践:町民を交えた地域資源の発見とそのブランド化

図 8 右手のお二人が林夫妻 出典:はしもと珈琲店の店員撮影(2018 年 12 月 2 日)

白老滞在2日目はとなった12月2日は、やはり宇佐見成美さんのご紹介で、同じ地域おこし協力隊員の林啓介・オルガ夫妻とお会いしました。前述のとおり、オルガさんはロシア・サンクトペテルブルグのご出身。久々にロシア語の会話練習ができたのは、本学でロシア語を教えている私的にとても嬉しかった。

 林さんは、元々はビジネスの世界で生きてこられた方で、水俣市の吉本哲郎先生の「地元学」の薫陶を受けており、講演の機会に訪れた白老をとても気に入り、地域おこし協力隊員を引き受けることになったとのこと。林さんご夫妻は、Airbnbと提携しての体験型ツアーの組織、白老の素材を活かした商品開発とブランド化、道庁と連携して奥様の出身地であるサンクトペテルブルグとの交流の活性化などに取り組んでいる。山・森・海・湖・住宅地・先住民・駅からの便のよさなど、すべて揃っている「究極の場所」が白老であり、「形にしよう」と思えば「形にできてしまう」場所、「何もない」なんて言わせない、という言葉が非常に印象に残った。潜在可能性は高い、しかし、それに気づこうとなかなかしない行政・民間企業・住民の当事者意識が決して高いものではないことをどう変えていくのかという問題意識を持っている。「地元学」で実践されてきたが如く、「よそ者」が入って地元住民や行政と協働することで白老の「あるもの探し」[17]をしながら、それを持続可能なビジネスとして軌道に乗せてゆく、そのようなビジョンを描いていることがお話しをしていて分かった。たいへん刺激的な一時だった。

 実は、今回の私の白老出張は、世界共生学科の専修科目であり、学外でのフィールド実践を伴う「地域創生科目」を北海道でやろうという構想の種蒔きも一つの目的としていた。そして、林さんからは次々と白老でのアクティビティとスタディの内容について次々とアイディアを出していただいた。東海地方からの「よそ者」の「大学生」の視点ならではの白老の魅力の再発見ができるのではないか。そして、協力しての商品開発、地域の人々からストーリーを聞く(吉本哲郎曰くの「ライフスタイル・インタビュー」)、国後島出身で東京に滞在しているロシア人の方と道東からの国後島の風景を見に行く、白老とサンクトペテルブルグとの交流も見据えた「国際教養」の涵養・・・などなど、である。とにかく、素晴らしいブレインストーミングの機会だった。どのような授業になるのか、仕掛け役の私自身が楽しみになってきた。

おわりに

 たった2日間の白老滞在であったが、民族共生象徴空間のオープンが2020年に控える白老町の多文化共生と地域創生の現状を詳しくしることができた。その中で、「よそ者」である地域おこし協力隊の方々が現地の人々と協働しながら、地域の資源を再発見し、持続可能な町おこしを行っていることが把握できた。

 これは、北海道という本州とは異なる魅力と地域資源が存在するからこそできるのでは、という疑問は確かに湧いてきても不思議ではない。しかし、脚注で紹介した吉本哲郎が考案した「地元学」とは、悲惨な水俣病公害に苛まれてきた水俣市での地域資源の再発見をベースとした話である。「よそ者」が地域にやってきて、地域の住民の背中を押しながら、一緒になって地域のもつ人や自然の力、文化や産業の力について再発見し、それを持続可能な形で引き出してゆく、このような作業は東海地方でも当然できることなのだろうと感じた。恐らく、そこには一時滞在であれ、地域の「関係人口」となってくれる若い世代がかかわってゆくことも重要だろう。その意味で、若い世代が学び集う高等教育機関の役割は非常に大きいと思われる。また、その結果として、それこそ地域おこし協力隊として地方に移住してそこでアイディアを出して活躍する若者が出てくれば、素晴らしいことだろう。

 ただし、白老町の事例は、地域おこし協力隊が、理念の上でも首尾よく機能している事例ということもできる。制度そのものの深い分析と失敗事例の分析にまでは踏み込むことはできなかった。このようなことを一歩引いて考えるという作業も今後は必要だということも認識している。

 最後に、自らのドライブで白老の町中を案内していただいた宇佐見成美さん、その他、お忙しいところ私との面談の時間を割いていただいた皆さま、ありがとうございました。今後も「地域創生科目」の実施に向けて定期的に白老町を訪れますので、今後ともよろしくお願いいたします。

追伸

 筆者は、2019年1月25日から26日にかけて白老町を再訪した。白老町役場と「ミナパチセ」を訪れ、貮又さん、菊地さんに正式に挨拶をさせていただいた。貮又さんは、東京財団週末学校を通じて吉本哲郎先生と知り合い、「地元学」の薫陶を直接受けていたことをしる。いかにも白老らしい、そしてとても美味しい鮭の塩麹漬け定食に舌鼓を打ちつつ、「地域創生科目」の中で白老でやってみたいことを率直に議論することができた。そして、貮又さん、菊地さんからはサブ・ロジの両面でご支援をいただけることになった。その後、建設中の宇佐見さんのカフェで地域おこし協力隊員の方々とミーティングを開かせていただいた。宇佐見さんのカフェは内装工事がだいぶ進んでいた。開店が待ち遠しい。いろんな縁があって実現した白老訪問、「地域創生科目」が有る無し云々ではなく、今後、個人的にもかかわってゆきたいと思う。


[1] 「地域おこし協力隊の活躍先(受入れ自治体一覧)(平成29年度)」総務省[http://www.soumu.go.jp/main_content/000539424.pdf]。

[2] 「平成29年度『地域おこし協力隊』の活用状況等について」北海道(2018年7月)[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ss/ckk/h29kyoryokutai.pdf]。

[3] 「地域おこし協力隊の活躍先(受入れ自治体一覧)(平成29年度)」総務省(前注1参照)。

[4] 「平成30年度 白老町地域おこし協力隊員活動報告会 資料」(宇佐見成美さん提供資料)。

[5] 「白老町 地域おこし協力隊@shiraoi.chiikiokoshi」Facebook[https://www.facebook.com/pg/shiraoi.chiikiokoshi/posts/]。

[6] 「巨大なパッチワーク作り進む 白老・象徴空間を盛り上げよう」『苫小牧民報』電子版(2017年2月10日)[https://www.tomamin.co.jp/news/area2/10572/];「『アイヌ民族とともに』官民着々と」『朝日新聞』デジタル版(2017年3月13日)[http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170313010500001.html];「アートでおもてなし みんなの心つなげる『巨大パッチワークの会』座談会」『白老町広報 元気』2017年7月号、2-3頁[http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/docs/2013010800018/files/k1807.pdf]。

[7] 「平成30年度 白老町地域おこし協力隊員活動報告会 資料」。

[8] 例えば、「さらに距離を縮めるペテルブルグと北海道」ロシア・ビヨンド(2018年8月24日)[https://jp.rbth.com/business/80746-sankutopeteruburugu-to-hokkaidou]を参照。

[9] 『北海道環境企業データBOOK2017』経済産業省北海道経済産業局、2017年、75頁[http://www.hkd.meti.go.jp/hokni/db2017/db2017.pdf]。

[10] 北吉原という地名は、日本製紙の本社工場がかつて静岡県吉原市(現富士市)にあったことにちなむとのこと。民族共生象徴空間整備による白老町活性化推進会議「しらおい再発見 地域学講座 6 萩野・北吉原地区」白老町(2017年3月)、7頁[http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/docs/2017031000013/files/6-hagino-kitayosihara.pdf]。

[11] 「アイヌ差別、癌、DVを乗り越え、みんなを受け入れるcafeの継続を」Readyfor(クラウドファンディングポータル)[https://readyfor.jp/projects/minapacise]。

[12] 富士雄志「白老の田村さんがカフェ開業、体に優しいメニュー提供」『室蘭日報』(2017年6月15日朝刊)[http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2017/06/15/20170615m_08.html]。

[13] 「ポロトの自然満喫を、体験ツアーや宿泊モニター実施」『室蘭日報』(2018年7月7日)[http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2018/07/07/20180707m_08.html]。

[14] 「ポロトの森エコミュージアム ページ情報」ポロトの森エコミュージアムFacebook[https://www.facebook.com/pg/PorotoEcoMuseum/about/?ref=page_internal]。

[15] 関係人口については以下を参照。田中輝美『関係人口をつくる:定住でも交流でもないローカルイノベーション』木楽舎、2017年。

[16] 鬼頭秀一『自然保護を問いなおす:環境倫理とネットワーク』筑摩書房(ちくま新書)、1996年、228-231頁。

[17] 吉本哲郎『地元学をはじめよう』岩波書店(岩波ジュニア新書)、2007年、6頁。