RINGSイブニングセミナー「ツーリズムから見えてくるもの」を振り返る

地田 徹朗

(名古屋外国語大学RINGS上席研究員/世界共生学部准教授)

 2019年12月3日、名古屋外国語大学811教室にて、名古屋外国語大学グローバル共生社会研究所(RINGS)主催の初のイブニングセミナーが開催された。ANA総合研究所客員研究員で、現在はボーダーツーリズム推進協議会会長を務める伊豆芳人さんをお招きして、日本におけるツーリズムの現状と問題点、今後のツーリズムのあり方についてご講演いただいた。RINGS上席研究員の他に関心を示していただいた先生方と若干名の学生を含め15名の参加があった。コンパクトなセミナーだったが、中身はすこぶる濃いものとなり、質疑応答セッション含め大いに盛り上がった。

 今この文章をしたためているのは、2020年4月も末。高瀬淳一RINGS所長の命を受けて参加記の執筆をお約束したというのに、あれやこれやの教務や研究で文字どおりテンパってしまい、ずるずると執筆を引き延ばした挙句、コロナウイルスの日本での蔓延という事態に陥ってしまったという感じである。懺悔。しかし、日本を含む各国が国境を実質的に閉じてしまい、国内でのインバウンド観光需要がゼロに至った今だからこそ、伊豆さんがセミナーで語ってくれたメッセージのアクチュアリティが高いと改めて思うに至り、今、ノートパソコンを前にしてこの原稿を書いている。

 伊豆さんは、早稲田大学商学部を1977年(私が生まれた年!)に卒業し、全日空商事からANAセールス株式会社に移られて、北海道や沖縄のパッケージツアーの火付け役となった我が国の観光産業の重鎮と言い得る方である。同時に、バブル期からマスツーリズムのパッケージを数多く手がけてきた「現場人」であり、ツーリズムを通じた人や場所のつながりのようなものを目の当たりにしてきた方である。そして至った結論が、いずれ飽きられる「もの消費」のためのツーリズムではなく、そこでしか味わえない食事やそこでしかできない娯楽・アクティビティをつうじての「こと消費」の重要性だと述べていたのが印象的だった。

ボーダーツーリズム推進協議会会長 伊豆芳人さまを囲んで、初のイブニングセミナー
伊豆さまの左隣がエッセイ著者の地田

 アジア諸国から大挙してやって来て「爆買い」など数と金額で勝負していた日本のインバウンド需要は「もの消費」の枠を出ていない。特に、国際情勢の緊張など政治が独立変数になっていて、インバウンド需要が従属変数になってしまうような現状は、不確実性が高くサステイナビリティという点で疑問符がつく、そして、「もの消費」はインターネット購買の普及に代替されてしまう可能性がある。このようなメッセージを伊豆さんは発していた。国際情勢の緊張云々を易々と超えてしまう衝撃を世界に及ぼしている新型コロナウイルス禍にある今、数と金額に依存してきたインバウンド観光業のもろさが正に露呈してしまったのである。「ショッピングツーリズムだけの観光立国は成立しない」、伊豆さんのこの言葉はコロナ禍の今だからこそ強く重く響く。

 これに対して、伊豆さん曰く、「こと消費」は飽きられないし、インターネットで代替もできない。ターゲットは個人であり、リピーター化しやすい。いわば、観光目的で訪れてくれた人々が、その場所の「関係人口」になり、そこに住んでいるわけではないけど、その後の人生、その場所にかかわり続けてくれる、そのようなポテンシャルを秘めているということなのだ。伊豆さん曰く、観光とは「個々の国との交流の積み重ね」、これが大事だという。「こと」を通じて人と人とが交わり、関わってゆくということ、これは短期的に得られる大きなお金にはならなくとも、長い目で見据えるととても強い。インバウンド観光客の人たちとどのような関係性を構築していくのか、そのビジョンが大事なのだ。もちろん、コロナウイルス禍はあらゆる人の動きを止めてしまう。それでも、「応援しよう」と特産品などを買ってもらったり、移動の自由が確保されるようになってからの「応援宿泊券」などを買ってもらったり、あるいは、クラウドファンディングなども集めやすいだろう(筆者も、虎杖浜たらこと稚内のホタテを取り寄せた。無言だが、応援のつもりだ)。「危機」と「観光」は確かに馴染まない。しかし、「危機対応」という点でも観光における「こと」の重要性が再認識されるべきではなかろうか。

 伊豆さんは、「こと消費」の観光の事例として「○○ツーリズム」を例として挙げられた。「○○で観光需要を創造・喚起すること」である。そこには、仕掛け役の創意工夫とコンテンツに対する想いのようなものが大切で、鍵となるのはいかに観光客の「知的好奇心」を刺激できるか。やはり「知的に魅力的」だと思って来てもらわなければならないわけだから。そして、伊豆さん自身の取り組みとして、「ONSENガストロノミツーリズム」や「ボーダーツーリズム」があり、これらのアイディアは環境省や内閣府など政府をも動かし、テレビや新聞などメディアでも数多く取り上げられている。伊豆さんの愛知県東海市とタッグを組んでの、「ふるさとの先人」で地域を結びつける「嚶鳴協議会」の取り組みも魅力的だ。歴史と観光とを改めて結びつけるポテンシャルを有している。

 伊豆さん自身が推進協議会の会長を務められている「ボーダーツーリズム」は、「国境・境界地域を隣国のゲートウェイと位置付け、国境・境界地域ならではの景観、自然、歴史、文化、風土などを魅力的な観光資源とするツーリズム」と定義されており、今までになかった観光コンテンツを提示している。特に、日本の国境地域と国境の向こう側を同じツアーで訪れることにより、地域の景観・自然・歴史・文化・風土の比較が可能になる。「隔ての海を結びの海に」というコンセプトだ。マスツーリズムには不向きかもしれないが、少人数であれ、知的好奇心を刺激しうる内容をもっている。沖縄県与那国町が音頭を取って北海道礼文町、根室市との「極地連携」の推進など、国境地域からのムーブメントも起きていることも興味深い。そして、島国日本の通常は薄い国境意識を涵養し、国境を隔てての安全保障問題や領土問題を考えるという点で、ゼミ旅行などアカデミックツーリズムにも適している。筆者は実際に、2020年2月にゼミ合宿で北海道稚内市を訪れ、宗谷岬からくっきりと浮かぶサハリン島をゼミ生と共に目視し、稚内市役所や稚内海上保安部でサハリンとの交流の実態や北の海の安全保障について現場でお話を伺うことで、「日本からいちばん近いヨーロッパ」を実感させるツーリズムを実践した。もちろん、稚内のおいしい海の幸に舌鼓を打つことも忘れずに。

 伊豆さんの講演では、アウトバウンドに関する中国政府の戦略についても紹介された。しかし、コロナウイルス禍の今、800万人を超える中国人観光客の来訪がパタリと止まってしまったのである。それ以前のことだが、日韓関係の悪化に伴って、昨年夏頃から韓国から対馬への観光客の来島が止まってしまっていた。2018年には韓国人のアウトバウンド700万人のうち40万人が対馬を訪れていたというのだから驚きだ。コロナウイルス禍が去ってからインバウンドが大挙して戻ってくるのか、不確実だが、いずれは恐らく戻ってきてもらえるのではないだろうか。しかし、それまでの間にインバウンドを受け入れてきた観光業者が疲弊してしまうことが危惧される。通常時におけるインバウンド観光客の人たちは、日本の地方都市を本当に活気づけてくれていた(札幌にかつて住んでいたので、それはよく分かっている)。そこで働いてこられたバス運転手やホテル従業員の方々は本当に苦境に立たされている。そこに対しては心からお見舞い申し上げたい。コロナウイルス禍が一刻も早く去ってくれることを願うばかりである。

 ただ、やはりコロナウイルス禍にあるからこそ、我々にとってのツーリズムとは何か、今、観光業に携わる人、観光地に住む人だけでなく、大学を含め日本全体で考えるべき時なのではないだろうか。嵐はいずれ過ぎ去る。だからこそ、考えることを止めてはなるまい。伊豆さんのご講演は、コロナウイルス禍が始まる前に行われたわけでが、このようなことを改めて問いかけてくれるものだ。今だからこそのアクチュアリティがある。もう随分も前の話で本当に懺悔の一言しかないが、エッセイをしたためさせていただいた。これからの日本にとって極めて重要な内容のご講演をいただいた伊豆芳人さんに心から感謝を申し上げる。

本講演に関連するリンク集:

ボーダーツーリズム推進協議会

https://www.border-tourism.com/

ONSENガストロノミーツーリズム公式サイト

https://onsen-gastronomy.com/

新・湯治の推進(環境省HP)

https://www.env.go.jp/nature/onsen/spa/index.html

極地連携(与那国町と礼文町との友好交流協定の締結)(与那国町HP)

https://www.town.yonaguni.okinawa.jp/docs/2019122000025/file_contents/YONAGUNIJIMATUSIN1.pdf

旅するかもめ ボーダーツーリズム(毎日新聞HP)

https://mainichi.jp/ch180408950i/%E6%97%85%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%A1

嚶鳴協議会

https://www.tokai-arts.jp/oumei_forum/